1:名無しさん




日本におけるプロテストソングの起源には諸説あるが、時の権力を揶揄したり風刺したりする庶民文化は古くから存在していた。たとえば“狂歌”や、19世紀末の自由民権運動で流行した政治風刺歌「演歌(演説歌)」には、その萌芽を見ることができる。

本稿で扱うのは1960年代以降の日本のポップミュージックだ。この時代以降、プロテストソングが抗議する対象は、為政者の悪政や権力の横暴だけでなく、戦争、原発・核兵器、環境破壊、差別、暴力、格差、搾取、そしてマスメディアの姿勢など、多岐にわたって広がっていった。多くの曲は政治的な側面を帯び、ときに体制批判の色合いを強めるが、すべてがそうであるわけではない。

音楽家である以前に、誰もが一市民だ。不正や暴力、自らの権利や生活を脅かすものに対して怒りを感じ、声を上げることは、特別な行為ではない。「音楽に政治を持ち込むな」という意見を目にすることもあるが、音楽は社会や経済と切り離せない。文化とは人間の営みの中にあり、社会の現実と無関係でいることはできない。

とはいえ、政治的なメッセージを音楽に込めるかどうかはアーティストの自由であり、社会問題に触れず美しい音楽を作る表現者も多くいる。ただ、1986年のチェルノブイリ事故、2001年の9.11テロやイラク戦争、2011年の福島第一原発事故といった、大きな社会的危機のたびに、プロテストソングは数多く生まれてきた。そして現在のコロナ禍やそれに伴う政治の混乱も、また新たな“声”を生み出す土壌となりつつある。

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