1:名無しさん


3人兄弟の三男だった志村さん。この家は長兄・知之さんと次兄(後に次兄の妻)が相続したが、空き家状態が長く続いたことで、近隣からは「放置している」、「廃墟になった」などと囁かれていた。知之さんの知人が悔しさをにじませる。

「知之さんと奥さんは、必死に家を管理していました。当初は献花に訪れる人もいて、ファンに知られた家だったため、昼間に片付けると騒ぎになって周囲に迷惑がかかるからと、人目に付きにくい夜に自宅を訪れては、空気の入れ替えや庭の掃除をしていたんです。月に2回は通っていましたね。ただ昨年から知之さんの足腰が弱り、杖がないと歩くのが難しくなった。志村さんの自宅の管理がもう限界だったのは、誰の目にも明らかでした……そうした事情もあって、今年の1月に大手不動産会社に売却したんです」

弟の思い出が詰まった家を手離した知之さんは、その過程でさらなる苦渋の決断を下していた。

志村さんが三鷹市に居を構えたのは、1987年のこと。7つの部屋を備えた2階建てのモダンな造りで、土地と建物を合わせた購入価格は、当時3億円超とも報じられた。

交友関係の広さで知られた志村さんだが、意外なことに、自宅には数名のお手伝いさんを除き、他人を招き入れることはほとんどなかったという。

「自宅では大半の時間を、大きなテレビがある15畳ほどの部屋で過ごしていました。コントに役立つヒント探しの一環として、大量の映画を鑑賞することがライフワークだった。その結果、書斎やリビングは、古いビデオテープやDVDであふれかえっていました」(芸能関係者)

「日本の喜劇王」とも称された志村さんだが、その活躍はバラエティーに留まらなかった。映画を鑑賞してコントの研究を重ねていた志村さんは、50代を境に俳優業にも挑戦。遺作となった連続テレビ小説『エール』(2020年/NHK)で作曲家を好演し、同年12月に公開予定だった映画『キネマの神様』では初主演の予定だった。当時、映画が完成していれば、日本アカデミー賞で主演男優賞を初受賞する可能性があったとみた映画関係者は少なくなかった。

「2004年に三味線を始めると、めきめきと上達していきました。その腕前はプロと共演しても引けを取らないほど。志村さんの自宅には、びっしりとメモ書きされた三味線のテキストがたくさん残されていたそうです。寡黙でシャイな志村さんが自宅に他人を入れたがらなかったのは、部屋中にある“努力の跡”を見られたくなかったからかもしれません」(前出・芸能関係者)

志村さんの死は青天の霹靂だった。2020年3月15日に倦怠感があり、自宅療養中だった志村さんは20日に容体が悪化。救急搬送先の病院で29日に息を引き取った。

異変を感じてから、わずか2週間。自宅に残されたすべての物が、彼が生きていた当時のまま手つかずで遺品となった。大量のビデオテープやDVD、レコードや書籍。さらには洋服や功績を称えた数々のトロフィー、愛用の調理器具や食器なども、そのまま残された。

志村さんが亡くなって以降、知之さんはメディアの取材に、「とにかく物がありすぎて、どこから手をつければよいのかわからない」と整理が進まない現状を嘆いてきた。

日本中が悲しみに暮れた突然の別れから、もうすぐ5年。自宅の解体工事は始まったが、志村さんの膨大な遺品はどうなったのか。

「業者にすべて処分してもらった」
遺品の行方について、5年間弟の自宅を守ってきた知之さん夫婦に聞くと、ふたりは悲しい表情を見せた。知之さんが言う。

「ちゃんと整理できなかったんですよ。体の自由が年々きかなくなって、物を運ぶことができなかった。写真なんかは(個人)事務所に移すことができたけど、あとは全然……何も残せなかったんです」

志村さんが住んでいた家はすでにもぬけの殻で、いままさに解体工事が進んでいる。現地の様子を伝えると、一瞬言葉を詰まらせてこう続けた。

「そうですか。もう解体が始まったんですね……。

実は……あの家に残っていた荷物は、業者に依頼してすべて処分してもらったんです。しっかりと、“外部に漏らさずに処分する”という契約書にサインをしてもらって、お任せしました。できることなら残しておきたかったけれど、現実的にそれは無理だったんです。寂しい限りです……」

言葉少なに苦渋の決断を明かした知之さん。確かに、大量の遺品を持ち出し、管理していくのは、高齢の知之さんにとって簡単なことではない。そんな状況のなか唯一持ち帰った弟の形見がある──「Shimura」のロゴが入った、デニム地のキャップだ。

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https://j7p.jp/134876

 

2:名無しさん


金にしたかったんだろ

 

53:名無しさん

>>2
空き家でほったらかしてると固定資産税もバカにならないのよ
金にしたいんじゃなくて空き家は無駄な金食い虫なの


436:名無しさん

>>2
親が生きてるうちにきちんと整理しとけ。
我が身に降りかかってきたら、どういうことかわかるぞ。
ま、オマエがケツ巻くって逃げそうなのはわかるが。


564:名無しさん

>>2
遺品の処理なんて、遺族が金目のものとゴミとを分別できなきゃ、一山幾らで処理業者に金払って持ってってもらうだけだから。


9:名無しさん


相続税で大変だろうし

 

5:名無しさん


豪邸ではないよね 一般的な家だった

 

450:名無しさん

>>5
そこにあの車があるから不釣り合いで違和感あるんだよなw


761:名無しさん

>>5
都内でこれは豪邸だぞ


11:名無しさん


事務所や後輩たちに頼めば良かったのに

 

15:名無しさん


志村の愛車は大悟がもらったって言ってたな

 

743:名無しさん

>>15
買ったんじゃなかったっけ
免許ないのに売りに出されてたのを買ったんだと思う


18:名無しさん


業者本当に外部に漏らさずに処分したのかな?
金目の物とか自分たちでちゃっかり持って帰ったりしてそうw

 

20:名無しさん


まあ現実はねえ
あの世にお宝は持っていけない

 

24:名無しさん


利用しない空き家持ってるだけで年に数十万の固定資産税かかるんだから仕方ない。
美空ひばりや石原裕次郎でも記念館維持できないのだから、最低限の遺品しか保存しないのも現実的だよ。寂しいだろうけど。

 

25:名無しさん


ドリフターズの貴重な物も多数あっただろうに‥もったいない

 

43:名無しさん


高齢者の子ども世代ならともかく兄弟には酷だよ
かといって金にならないけど価値はあるとかいう価値観では誰もやってくれない

 

52:名無しさん


解体業者が
「こりゃ売れるでぇ!!」て思ったら残すんじゃないの?

 

54:名無しさん


業者が後々オークションに出しそう

 

66:名無しさん

>>54
それはいいじゃない
マニアが一番大切にするんだから


67:名無しさん


怪奇映画マニアの芦屋小雁は前妻の斉藤とも子が怪奇映画が嫌いだからという理由で怪奇映画の歴史的にとても貴重なフィルム等のコレクションを全て売ることにした

森永卓郎は子供の頃からミニカーや空き缶空き瓶を集めててコレクションの重みで家の壁にヒビが入ったり家が地盤沈下したのでビルを買ってコレクションを展示する博物館を設立し、今は次男が2代目館長やってる。100年後には価値が出る!のモリタクの言葉を信じて

 

76:名無しさん


大して遺産なかったんだろうな
身内とはいえ年金暮らしだろう老人達で維持管理するのは無理だわ
親の家の解体費用がもったいないからと空き家のまま放置する人も珍しくないからね

 

77:名無しさん


まぁ仕方ないよな
志村けんの兄貴も本人が終活するような高齢者だろ
もったいないって思う奴らが何もしないなら遺族がすることにケチつけちゃいかん

 

83:名無しさん


志村の兄貴たちなんて80歳だろ…
自身の終活もしないといけないのに志村の財産管理なんて無理だわ
売れる家と土地は売って遺品の山はサクッと焼却処分は正しい

 

93:名無しさん


志村けんにしろ俺にしろ
好き好んで独身を貫いてきてんだから尚更だわな

 

101:名無しさん


たけしや加藤や高木が呼びかけて、関東の芸人達主体でクラファンでも寄付でもいいから
何とかして志村やドリフの記念館を作って遺品を残せなかったのか?
残念な話だな

 

129:名無しさん


志村のレコードコレクションは需要あるはず
せめてリスト化すべきだった

 

338:名無しさん

>>129
蔵書、レコード、映画などのリストは
残しておいた方がよかったね。
志村がどんなものから影響を受けて
コントを作ってきたかの
記録になる。


137:名無しさん


人生の虚しさも感じるニュースだな