千日回峰行を達成した塩沼亮潤和尚は、行の初期はよく幽霊に襲われ、中期はよく仏を見たと言ってたな。
— すぽんちゅ@仏教は最高の教え (@Iwatekko6969) September 24, 2024
なんでもない山道にキンキラキンに輝く仏や菩薩がぶわーっと浮いてるのを何度も見たと。
行終盤になったら、これが一転して忽然と何も見なくなったとか。 https://t.co/ikz3Oh97eg
禅宗なんかはこの神秘体験を非常に忌避しており、座禅の最中に仏に会ったらすかさずその仏を突き殺せとまで教える。
— すぽんちゅ@仏教は最高の教え (@Iwatekko6969) September 24, 2024
ちょっと辛い状況下に自分を追い込み、その結果脳内麻薬によって幻覚を見るなら、それは修行したことになるどころか、ヤク中ってことになっちゃうんですよね。
これを嫌うためか、曹洞宗の開祖である道元禅師は「座禅をする時に暑かったら涼しいところで、寒かったら暖かくして座禅をしなさい」と書いてるんですよ。座禅は修行であって我慢大会になってはならない、ということなのでしょうね。
— すぽんちゅ@仏教は最高の教え (@Iwatekko6969) September 24, 2024
塩沼亮潤和尚の証言がマジならば、やっぱり神秘体験ってあるんですよね。
— すぽんちゅ@仏教は最高の教え (@Iwatekko6969) September 24, 2024
ただ、それを神秘として認めてしまうと、修行なんぞしなくても、ただちょっとドラッグをやれば簡単に再現できるから修行なんかせずにドラッグやろうぜ、ということになってしまう。
修行僧は60年代のヒッピーではない。
しかも塩沼和尚は「行の終盤になったら何も見えなくなった」と言ってた。これは単に、ストレスに身体が慣れたから幻覚が見えなくなったのだろう。見えた理由も、見えなくなった理由も、科学的に説明がつく。
— すぽんちゅ@仏教は最高の教え (@Iwatekko6969) September 24, 2024
やっぱり幻覚であると科学的に説明がつくから、塩沼和尚の見た仏はただの幻覚なのだ。
塩沼和尚は確か8年ぐらいかけてこの行をやりきったと言ってたが、その修行中、何度もやめたくなっただろう。何度も死にたくなっただろう。何度もやめときゃよかったと思っただろう。
— すぽんちゅ@仏教は最高の教え (@Iwatekko6969) September 24, 2024
この「達成感」を修行の結果とするなら、いくらヤク吸っても、やはり修行しないとわからない真理があることになる。
あー、キリストが荒野にて悪霊と問答したのに似てますね
— 西風 遙 (@nisikazeyou) September 25, 2024
やはり古今東西の宗教者は,「極限状態の幻影の否定」が必須なのか……
「魔境」に入る(だったでしょうか?)というやつですね。そこで道を誤ると天狗になる、というのが何とも含蓄深いですね。
— 崎田薫 (@blPgbQFlmN8wyHF) September 25, 2024
ユダヤ教にも似たような話があって、第四エズラ書で神のお告げを受ける前に毎回断食してるんですよね。そりゃ気が触れる。
— ハイギヤード (@high_geared) September 25, 2024
仏に会えば仏を殺せ。 わしの中の戒めです。
— びいと07 (@3KTTIR54emJ6Z1x) September 24, 2024
そう簡単に会える訳ない。
『虚無・空洞』に至ってこその悟り…
— 鋼鉄武神 (@shishiou_gai) September 25, 2024
脳「慣れちゃった(てへ」
— へぃ (@shirouhirasaka2) September 25, 2024
鍛え始めに頻発する筋肉痛みたいなもんなのですねー(꜆꜄꜆˙꒳˙)꜆꜄꜆
— Arkangel-LF@お出かけの民 (@Uv4EMIjtuh6a4e7) September 25, 2024
「到った」ら逆に見えなくなるんすか
— うさぎ/ネタ垢 フォロバ100💯 (@DoubutuRyu36172) September 25, 2024