うちのじいさんは
— りう (@riririri_riu) August 14, 2025
「戦争は本当に楽しかった、もう一度起きねえかな、
鉄砲抱えてまた行きたい」
と目を輝かせるどこぞの少佐みたいな御仁だったし
ばあさんも「食べ物?別に困らなかったよ」
と、無神経大魔王の俺でさえ話題にしにくい方々なので
仮にメディアが聞いても触れないだろうな、と(続) https://t.co/iHOa7RW5Q1
ただ、じいさんが何度も言ってた
— りう (@riririri_riu) August 14, 2025
「捕虜達の食事のトレー裏に
タバコを隠して渡すと喜ばれた」
「捕虜の時、一日かけて掘った穴に
偉い奴が書類を一枚投げ入れ
一日かけて埋め戻した」
「ダイナマイトは食えるぞ」
「夜ドラム缶風呂を沸かしてたら攻撃された、
前線では火の扱いに気をつけろ」(続)
「パラオは本当に美しくて良い人達だった、
— りう (@riririri_riu) August 14, 2025
また行きたい」
「俺は戦争に行きたいだけで
アメリカ人は好きなんだよ。
米軍のパントリーでジャズを聞きながら働くのは
本当に楽しかった」
等も戦争経験者の生の声には違いないので
ここにこっそり記しておきます。
楽しむのが上手な方なんですね。「物事を楽しむ心」が輝いてる…
— あおちぇ (@handzup1998) August 14, 2025
うちの母方じいちゃんも終戦時パラオ本島だったから近い戦場だったのかも
— AZANINA (@RS_AZANINA) August 14, 2025
こういうの配属によっては勝ち戦してて割とエンジョイしてた兵隊の方いますよね、そのじいちゃんもそうでした
うちの爺さん、南方だったけど
— 北国の帝王 (@gakushin_6) August 14, 2025
現地の人使って商売してたらしい。
場所によって状況違いすぎるんよな…
田舎だと、空襲ないし米、野菜は取れるので食い物に困らなかったらしい。
— Dの食卓 (@meganetetugaku) August 14, 2025
実際曽祖母の実家がかなりの田舎で頻繁に食い物持ってきてくれたらしい。
食い物には困らなかったそう。
戦闘機もなんか飛んでなぁ〜ぐらい。
ばーちゃん(故人)は田舎の人だったけど、それでもコメは供出のノルマがきつくて、三食は食べない(1日に1回はすいとんとか、ふかしたいもで軽くすませたりとか)って言ってた
— なべきょう@過眠症 (@wata_nabekyo_ko) August 14, 2025
土地柄かなあ
もちろん、毎食白米じゃなく御粥とかすいとん、芋雑炊、それでも食べれただけでもましだったって言ってたなぁ。
— Dの食卓 (@meganetetugaku) August 14, 2025
だから田舎では昭和40年代でも敗戦を信じない(家も焼けてないし家電や自動車が普及して昔よりいい暮らしが出来るようになった国が負けてる訳がないの一点張り)人がいたとか。
— センター前田 (@ritatti2) August 14, 2025
しかも場所によっては戦後に米と引き換えに着物とか貰ってたらしいね。
— Dの食卓 (@meganetetugaku) August 14, 2025
だから割としばらくは裕福に過ごしたって話。
ダイナマイト食える
— おおじま (@Ohjima0608) August 14, 2025
↓
甘いらしく、甘味の代わりに食ってたみたいですね
直近のコロナ禍の時も職が無くなって多大な苦労をしたり人間関係の希薄化に悩んで精神バランスを崩した人がいる一方で、仕事がリモートや自宅待機になって楽になった/サブスクを観て楽しんだりとQOLが高くなった…という人もいたりしたので、そんなものなのかもしれませんね…
— akuzya弐号 (@akuzya2) August 14, 2025
学校においてもいじめが減ったというデータも見たことがあるような。🤔
— レミっち🦇ᴵⁿᵗᵉʳᵐᵉᵈⁱᵃᵗᵉ👩🏻💻ᴹᵉⁱˢᵗᵉʳ (@remitch_3rd) August 14, 2025
そもそも他人に会いませんからね…
— akuzya弐号 (@akuzya2) August 14, 2025
同じ理由でパワハラの相談件数も減っていましたね(その代わりに虐待や家庭内暴力の相談件数が爆伸びするという闇もまたありましたが)
うちの祖母は、横浜大空襲の時は横須賀? に疎開? してて、空が明るくて綺麗だった。と言ってました。
— こにょ🐈⬛ (@konoe_0202) August 14, 2025
あと戦後は祖父(片耳が聴こえないので徴兵されなかった)が闇市で荒稼ぎして、カツ丼とアイスクリームを食べてたとも。
学校で発表出来ない系です。
私の父方の祖父は召集令状こそ受け取ったようですが、戦地へ行く前に終戦しました。その上軍需産業に関わっていたためか家業が潤っており、戦時中の話となると
— 【㊗️】リンファ【🎉1/22横アリ参戦🎊】 (@Lingfa_Cho) August 14, 2025
「いやー、あの頃は何かと楽しかったよ!」
としか言いようがなかったらしいです。それも戦争の一側面として語られるべき話でしたが…。
似たような話は何度か聞いた事あります。食料も困ってたのは都市部だけとか。
— くまやん (@kumayan_bear) August 14, 2025
そもそも本当に必要なのは「戦争は悲惨だ」と思わせる事ではなく、戦争する必要はあったのか、どういう流れで戦争突入したのか、次に戦争回避するにはどうすれば良いか等のその人なりの意見の方だと思うんですよね。
同じ時代に生きていても個人差ありますからね。生活力というか、生命力というか、何かそういうものの高さを感じます。
— たくるむ (@Taklm0128) August 14, 2025
たぶん、平均的な方ではなさそう😅
某漫画家の大叔父が自称運のいい男で
— 碧丑 (@Aoushishi) August 14, 2025
満州で美味しいもの食べて丸々太って、真新しい毛布数枚やら何やら色んなものお土産にして帰ってきた
という話がありましたね
死にそうな目にはあったみたいですけど
戦中の話を聞くと何人かに一人は「楽しい旅だった」と言ってる印象です
戦争は楽しかったと感じるのは単純に生きるために脳が出したアドレナリンだと思う。時代にあわせてタフで強くならざるを得なかった。
— なつめ (@zOVnvOOCxs32768) August 14, 2025
終戦後今でいうPTSDになった人も少なくないはずだし、不謹慎だと非難する人は人間の極限の心理について今一度考え直そう。
南方行って輸送中ボカチン食らった長男伯父と、海軍で呉でばあさんが見送って島根に帰ってきたら先に戦死公報が届いてた四男伯父はアレだが、満州行った次男伯父と三男伯父はいい思いした。特に三男伯父は連隊長に気に入られて満州に付いて行かされた人なんで、かなりいい思いしてたw
— クジャクオオカミ (@peacockwolfs) August 14, 2025
昔の御客で戦前は会津で農家をやっていて別に食料に困る事が無く、終戦の日にも白米を炊いて普通に食べていた人がいます。東京から着物等と交換に農作物(特に米)と交換希望する人が大挙したが、着物は貰い過ぎて既に不要状態だったと。
— れす屋 (@sotk028) August 14, 2025
シベリアで、敵兵をアレする前に捕虜になった祖父。
— モルダー®️ (@amamiya1989) August 14, 2025
水汲みの命令を受けての外出を脱走と見なされて銃撃されたり、凍傷で足先をアレしたりした話と、アレした足の指を見せられたりした思い出💀
戦争経験の内容のバラつきが…(惑)
銭湯で話しかけてきた見知らぬ爺さんが子供たちに戦争の悲惨さを町から頼まれて教えている方で、学校では言えない本音を漏らしてたけど
— HIbooker (@IbookerH) August 14, 2025
戦争が楽しかったんじゃなくて、その世代にとって戦争は青春時代真っ只中であり、私たちが昔を思い返して楽しかったと思う事と同じ文脈で言っていたな