1:名無しさん




・大学院農学生命科学研究科 五十嵐圭日子教授

 今回の学術会議の話題に留まらず、研究や教育にかかるお金は必ずどこかからか持ってくる必要があります。なんとなく今の議論は「学術会議の独立性・自立性を保ちながら、そのために必要なお金は何とか自分達で工面してください」と言われているように感じます。そういう意味では国の方針も学術会議の方針も私には浮世離れした机上の空論にしか聞こえませんし、傍目からみて議論のための議論をしているようにしか見えません。例えば、今東大は国際卓越研究大学に通るために頑張っていますが、そのお金を使えば(本当にそうなるかは分かりませんが)「精神的・経済的に自立できるから」という目標があるから頑張れるのだと思います。じゃあ学術会議はどこからどうやって運営していくためのお金を得るつもりなのか、全てをボランティアで動かせない以上本来そこが論点なのではないでしょうか? 軍事研究も国防なのか戦争なのか、技術を使う先次第であることと、それを決めるのが政府であることが課題であると思っています。

 私はフィンランドでも教鞭をとっていたことがありますが、ロシアのウクライナ侵攻後、社会福祉の予算を減らして軍事費に当てざるを得なくなったという話を聞きました。ロシアとの国境が長いから可哀想だなと思う反面、必要なものに対してこれだけクイックに予算を切り替えられる国家の信頼度と機動性はさすがだなと思います。例えば、今の日本で(政治家に)自国を守るためにこのような判断はできるでしょうか? 私は農学部で、常に「実(じつ)」を意識しているので、議論のための議論や、机上の空論は意味が無いと思っています。国から独立するけどお金は国が払えとか、産業界や時代の流れには影響されたくないけど、運営するためのお金は欲しいとか、そんな理想論をいつまでも追い求めていても仕方が無いと思っています。誰・何のための学術なのかを考えれば「人類が存続しうる地球環境を守るのため」以外の目的は見当たらず、それに国民が同意するなら税金で払われるべきですし、そんなことに税金は使えないというのなら、法人化してお金を集めるしかない、ただそれだけのことなのではないでしょうか?

 結局は国がどういう関与の仕方をするかを決めるのは政治家で、その政治家を決めているのは国民です。唯一できることがあるとすると、本件を選挙の議論に持ち込むことだと思いますが、今の日本で学術に対してそこまでの議論が作れるのか甚だ疑問ですし、それは政府のせいだけでなく、学問を軽んじてきた国民、その状況を覆せなかった今までの学術会議などなど(自分も含めて)関係者全てだと思っています。日本国民が賢く正しい選択ができるようになるために何ができるか、個人的にはそこが重要だと思っています。

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