きょうの料理で村上信夫の回を見ている。シベリア風のピロシキを紹介し「シベリアにおりました時に現地の人に教わりました」と言っているけど、シベリアにおりましたというのはシベリア抑留のことなので、軽妙な言い回しとは裏腹に相当に厳しい気持ちになった pic.twitter.com/XmjhRcmRpM
— せいげつ (@seigetu_burari) May 14, 2025
村上 信夫(むらかみ のぶお、1921年5月27日 – 2005年8月2日)は、日本のフランス料理シェフ。元帝国ホテル顧問。愛称は「ムッシュ村上」。日本でフランス料理を広めた功労者。帝国ホテルの料理長を26年間務め、『きょうの料理』の名物講師として家庭へプロの味を広めた。バイキング方式での食べ放題型料理提供を考案した人物として知られている。
1921年、淡路島(兵庫県洲本市)の網元の息子で、東京で萬歳亭という食堂を営んでいた父・延太郎と、埼玉県春日部の農家の娘だった母・いよ[1]の長男として、東京市神田区松枝町(現・千代田区神田岩本町)に生まれる。小学校5年生の時、両親が死去[2][3]。1933年、第三日暮里小学校卒業後、浅草ブラジルコーヒーにコックとして入店[3]。その後、銀座つばめグリル、新橋第一ホテル、糖業会館レストラン・リッツなどで働く[3]。1939年、帝国ホテルに見習いとして入社[4]。
1942年、大日本帝国陸軍に入隊。1945年、中国で終戦を迎え、シベリア抑留を経て[3]帰国する。シベリアでアイスクリームとリンゴ料理を作り、傷病兵に生きる勇気を与えた経験から「コックを天命の職として決意」したという[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E4%BF%A1%E5%A4%AB_(%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%95)
視聴者への配慮での「おりました」なのか…
— せいげつ (@seigetu_burari) May 14, 2025
抑留時も1980年はソ連はソ連だったとは思うけど、シベリアはソ連というより、日露戦争の頃の「帝政ロシア」な雰囲気があったんでしょうかね。
— holozoa (@holozoa55) May 14, 2025
ラーゲリより愛を込めてお届けします
— ナオ丸 (@12991922os) May 14, 2025
自伝読もうかな… https://t.co/vYzFdKVUsN pic.twitter.com/dMCGkFSGar
— かまわぬ👓 (@kamawanujp) May 14, 2025
世界史でよく出てくる捕虜が文化を持って帰ったり技術を落としていったりするの興奮する https://t.co/O49x9M32Sg
— つばす (@hamachibvri) May 14, 2025
村上さんの私の履歴書を書籍化した帝国ホテル厨房物語は昔読んだけどめちゃくちゃ面白かった。従軍や抑留時代の調理のお話とかエピソードが半端じゃなくて。手放してしまったけどまた読みたい。Kindleで買おうかな https://t.co/A2swmmmZsg
— susai (@kaguramikoshii) May 14, 2025
リプで思い出したけど、「私の履歴書」って年代的に絶対戦時の話があるから、身近な人、学校で用意された機会以外の人の戦争体験は「私の履歴書」で知ったことも多い。 https://t.co/mqnWKDe4Ea
— とときもと (@totokimotoi) May 14, 2025
この回録画して観てた!!!
— めもめも@💉7引き続きマスク手洗い消毒するお (@VNjY3MjNhTEerYx) May 14, 2025
シベリアてそういうことなの!?
>シベリアでアイスクリームとリンゴ料理を作り、傷病兵に生きる勇気を与えた経験から「コックを天命の職として決意」
うあー…! https://t.co/2QtL5vCuXh
その頃は「シベリアにおりました」で通じたんだろうな https://t.co/b2FN0BrUyb
— _(‘、3 」┌)_Anti-war (@chi_bresson) May 14, 2025
シェフの人は料理に専念できる海軍に行く人が多かったそうですが村上さんは陸軍に。海軍に行った先輩とかは船ごと沈められて帰らぬ人に。シベリア抑留は辛かったけど生きて帰れてよかったとの話を本で読みました。 https://t.co/4DqCBDDKco
— bungakekwa1016 (@bungakekwa1016) May 14, 2025
抑留中に凍ったジャガイモの解凍方法を考案して、それが64年の東京五輪の食料問題を解決したんよね https://t.co/weDIwidWRs
— ピエール碧 (@00g0933) May 14, 2025
「本来はもっと細長い形だけどシベリアのピロシキは丸っこい」という話を聞いて我々が今もこの形になじみがある背景にはシベリアから帰ってきた多くの方々の人生があるんだなと思った。 https://t.co/h7jdKhNnzd
— 青の零号 (@BitingAngle) May 14, 2025
祖父の言っていたことは本当だったんだ。「シベリアに行ってた時、ピロシキ食べたり、水筒に強い酒隠して飲んでた」って言ってたけど、その話聞いた時6年生でシベリア抑留習ってたから、嘘だって思ってたんです。でも抑留先によっても違ってたっていう話最近知り、このポスト見て、理解できました。 https://t.co/8c8HBLkKKv
— そーこ@5月18日紙モノ富山 (@suouyana) May 14, 2025
うわ、じいちゃんもシベリア抑留されてて小さい頃の夜寝る時に戦争の話聞いてたのおもいだした。口癖は英語ができたから生き残れた。英語を勉強しろだった。 https://t.co/E3Mr6OG24J
— 鉄球🐉🌪️🪓🪓🦈🦈❌❌ (@RRRmovieluvjp) May 15, 2025
この人、抑留中に死にかけてる戦友に
— ドカタン (@dokatank) May 14, 2025
「死ぬ前にパイナップル食べたい」
って言われて何とか手に入れたリンゴを
パイナップル風に煮るか焼くかして食べさせたってエピソードを覚えてる https://t.co/bSfhNAgNGw
その偽パイナップルを食べた人
— ドカタン (@dokatank) May 14, 2025
村上氏はあんな状態だったしそのまま亡くなったと思っていたそうだが
戦後、再会することになったそうな
あと総攻撃の前にみんなにカレー作ってたら
匂いに気が付いて敵軍が全員逃げてた
みたいなエピソードもあったはず
その話、子供の時にどこかで読んで気がするのですけど。
— 文野さと@「置き去り花嫁2」発売!コミカライズ配信中 (@punnyago) May 14, 2025
教科書じゃなかった気もするけど、何だったかな?
①戦争めし『極寒のパイナップル』です(⌒∇⌒)
— 魚乃目 三太 (@SantaUonome) July 25, 2020
全部で16P 4回に分けて更新します
このお話は過酷な収容所生活の中でも
希望を持ち生き抜いた村上 信夫さんの
エピソードです。
もしお気に召しましたら
リツーイトの方どうぞ
よろしくお願いいたします
②に続きます pic.twitter.com/TU0d6bUHC5
②戦争めし『極寒のパイナップル』のつづきです
— 魚乃目 三太 (@SantaUonome) July 25, 2020
③につづきます(⌒∇⌒)
どうぞよろしくお願いいたします。 pic.twitter.com/VspX4qHElD
③戦争めし『極寒のパイナップル』のつづきです
— 魚乃目 三太 (@SantaUonome) July 25, 2020
④につづきます(⌒∇⌒)
どうぞよろしくお願いいたします。 pic.twitter.com/FduXsNU5VV
④戦争めし『極寒のパイナップル』の最後です
— 魚乃目 三太 (@SantaUonome) July 25, 2020
ここまで読んでくださって
本当にありがとうございます(⌒∇⌒)
自粛ムードの連休中ですが
僕の漫画を読んで
少しでも楽しんでくれたら幸いです
また更新しますね(⌒∇⌒)
応援の程 どうぞ
よろしくお願いいたします
魚乃目より pic.twitter.com/2Un30CCfjy