知り合いにシベリア抑留経験者がいまして、学校側が全学生を集めて講演会を開かせたんですね、先生方は戦争反対とか言わせたかったみたいなんですがご本人は突然カッと目を見開いて「戦争は終わってない!!北方領土や竹島を見ろ!これが敗戦だ!奪還まで大東亜戦争はおわらん!!」と叫んでみんな仰天 https://t.co/0WsC94lT0n
— がく:セキュリティを目指す人 (@gaku_PSC) October 21, 2024
元ポストと全然関係ないけど思い出したので…ただ一年もすると現地人や末端の監視兵とは友達感覚だったようで、日本に帰ることになった際はみんな見送りで涙を流してたと話してました。現在98歳のお祖父さんですがウクライナ戦争が始まる直前までシベリアで遺骨調査をやってましたよ、あの歳で
— がく:セキュリティを目指す人 (@gaku_PSC) October 21, 2024
お祖父さん→お爺さん
— がく:セキュリティを目指す人 (@gaku_PSC) October 21, 2024
むしろ抑留者の考えが正しい。
— jjguo336 (@jjguo3361) October 21, 2024
日本にいた者、戦後生まれは高度経済成長に乗った。
しかし抑留者は戦争に負けるとどうなるか。その姿と還ることが叶わない者の骨で教えてくれる。
戦う前に降伏するものでは無い、ghqは例外だ。降伏を誘う者即ち日本を戦わずして、掠め取りたい者の手下かもな。
根性あるじいさん、カッコいい!
— 茶色いワンコ🐶 (@takigawa_w) October 21, 2024
母が聞いた抑留者の話はシベリアに連行された日本人抑留者とソビエト兵がお互いの宿舎を建て始めて自然に競争の様になったが、日本側は大工さんが居たりして日本式に柱や梁などを加工し、ロシア側は材を持ってきて加工しながら建てるので見た目は出来上がりが早く日本人を馬鹿にしていた↓
— ヨースケ (@jNtBi1UP69SnVPn) October 21, 2024
ところがいざ日本側が棟上げをするとあっさりと建物になったのでロシア人は驚愕したという。
— ヨースケ (@jNtBi1UP69SnVPn) October 21, 2024
日本人が「まあ反省しようや」みたいな態度を取ってるのは戦後アメリカに虐待されたりしてないからで、ソ連に虐待された抑留者は反省どころか復讐に燃えるに決まっている
— スティルバー (@STEALBER) October 21, 2024
うちの父親は満州からの引揚者
— しん (@ryotan_jp) October 21, 2024
早くに亡くなったんだけど、足に大きな傷跡があって亡くなるまで満州のことは話さなかった。
きっと酷い目にあわされたんだと、子供心にうっすらと思ってたよ。
自分も叔父がシベリア抑留者でした。
— @kyo (@r7MlJbUBfB43754) October 21, 2024
ロシア語の入った絵皿を貰いました。
叔父は自ら話をしませんでしたが、叔母や従兄弟によると「思想調査」が厳しかったそうでした。
せっかく生きて日本の地を踏めても辛い日常👀が待ってた訳です。
幸い潔白と見なされ終身教師を勤めました。
まさにその通りな気がする今日この頃です。
— Shibakuma (@barachan234) October 21, 2024
私とほぼ入れ違いで亡くなったと言う母方の祖父(今生きてたら100なん歳)は満州帰りの軍人だったらしい。
— 漣蓮 (@Ren3373) October 21, 2024
祖母からこれ聞いた時、当時の実情聞きたかったと思いましたが、実際聞けたらどんな事言ったのかな…
とこれ読んで思いました。