9条1項は「侵略目的の戦争を放棄したもの」であると、多くの教科書はそう説明してきた。しかし、憲法学者の長谷部恭男さんは、その根拠はどこにあるのかと疑問を投げかける。
手がかりは1928年のパリ不戦条約だ。9条を「決闘としての戦争をしない」と読めば、1項と2項は筋の通った一つの条文になるという。さらに、9条はかえって日本の実質的な能力を高めるとも語る。政治学者の杉田敦さんとの対談書籍、最新刊の『積極的護憲論』から一部を抜粋・再編集してお届けします。
杉田 ところで9条の解釈について、長谷部さんは近年、不戦条約との関係から整理し直しています。改めて確認させてください。
長谷部 9条1項は「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と言っています。ところが教科書の多くは、これを「侵略目的の戦争を放棄したもの」と説明しています。砂川事件の最高裁判決もそうです。しかし、その根拠が一体どこにあるのか、私にはわからない。はっきり言えば根拠のない議論だと思います。むしろ言葉通りに「国家間の紛争を解決する手段としての戦争・武力行使・武力による威嚇を禁じたもの」と読むべきです。侵略だけを禁止しているのではなく、例えば国境紛争をめぐる武力行使もダメです。
■鍵は1928年のパリ不戦条約
長谷部 その根拠は1928年のパリ不戦条約にあります。不戦条約第1条は9条1項とほぼ同じ文言で、「国際紛争を解決するために戦争に訴えること」を禁じています。この条約の背景には、オランダの法学者グロティウス(1583-1645)以来の国際法観への反省がありました。戦争とは国家間の紛争を解決するための「決闘」であり、勝ったほうが正しく、負けたほうは言うことを聞かなければならない。ペリーが江戸湾に乗り込んで開港を迫ったのも、当時の国際法からすれば違法ではなかった。しかし第一次世界大戦の惨禍を経て、各国は「もう決闘はやめよう」ということで不戦条約を締結した。日本もその締約国でした。
重要なのは、「決闘はしません」と言っているだけなので、自国が攻撃を受けた場合の個別的自衛権の行使は禁じられていないということです。当時の帝国大学の国際法学者だった立作太郎(1874-1943)もそう論じています。アメリカのケロッグ国務長官(1856-1937)も上院での条約審議で「自衛権の行使を否定するものではない」と明言しています。この不戦条約の論理を念頭に置いて読めば、9条1項は「決闘としての戦争をしない」と言っているのであり、2項の「前項の目的を達するため」とはすなわち「決闘をしないために」ということで、だから「戦争遂行能力を持たない」「交戦権を認めない」となる。1項と2項が全体として筋の通った一つの条文として読めるのです。
杉田 ところが従来の支配的な見解は、1項では「侵略目的の戦争」のみを放棄し、2項では自衛目的も含めて一切の戦力を否定する、という解釈でしたね。1項と2項がバラバラになってしまっている。
長谷部 本当に変な話です。「前項の目的を達するため」と書いてあるのに、1項と2項が別々のことを言っているとなってしまう。それでは条文として筋が通りません。筋が通った読み方があるなら、そう読むべきです。そしてその読み方が不戦条約以来の論理を正確に受け継いでいることにもなる。こんな明らかな間違いをみんながずっと言い続けてきたのか本当に不思議です。<中略>
■9条があるから「断れる」
長谷部 9条の意味を考えると、9条以外の憲法の条文のどこを眺めても「武力を行使してよい」ことを示唆する条文はありません。武力行使について憲法のとっているベースライン、つまり出発点はゼロです。原則やってはいけない。ただ、どうしても必要な場合にまで禁止されるかといえば、そんなことはない。必要最小限であれば許される。だから歴代政府が言ってきたのは、「個別的自衛権の行使は国民の生命・自由・幸福追求の権利を守るために必要最小限の武力行使として認められる。集団的自衛権はそうではない」ということです。
では仮に9条を全廃して、フルスペックの集団的自衛権の行使ができるように権限を広げたとして、日本の実際の能力が高まるでしょうか。日本の周りにはアメリカ、中国、ロシアがいる。それらと対抗できるような軍事的能力が自動的についてくるかといえば、現実問題として無理です。むしろ国力相応の権限だけに絞り込んでおくことで、能力に見合わない無理な要求を断ることができる。「ホルムズ海峡に自衛隊を出してくれ」と言われても、憲法9条がある以上は断れる。その分のエネルギーを外交など他の手段に注ぐことができます。権限を制約することで、逆に実質的な能力が高まる、ということです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e71c7fbf306550956f81fe8defc3aa4e7bd4223e
学者って机上の空論が大好きだよね
解釈で揉めるくらいなら、現実に合う形に変えた方がいいわな
憲法学者って
はじめから9条を守りやくて憲法学者になった人ばかりじゃないのか
結局は個別的自衛権の否定・非武装無抵抗に持っていきたいんよね
>>6
左巻きの連中は、そうしたいらしい。
憲法の序文から読めば解るが【自衛権】は放棄していない。
自衛権を行使しないのか、私には謎だ。
今も北朝鮮に拉致された日本人や、中国で適当にスパイ疑惑をかけられて拉致されている日本人を思うと、切なくなってくる。
学者先生はお勉強だけしてればいい
解釈するなよ
ハッキリかけ
>>1
自称 憲法学者ほど意味のない職業はない
9条がどうだろうが、自衛権は持ってるのは間違いない。
9条を盾にして紛争に巻き込まれないのを自慢気にほざくが、そんなんしてたら日本が理不尽に攻め込まれてもどこも助けてくれんぞ
>日本の周りにはアメリカ、中国、ロシアがいる
何か大事な国が抜けてないニカ?
国際政治学者や憲法学者なんて机上の空論で
詭弁を弄して相手を煙に巻いて満足してんだよな。
まともな学者はAERAなんか相手しないだろ。
自称憲法学者の小西なんか本物の学者に論破されてたのには笑ったけどwww
憲法学が嫌いだった理由がこれ。
既存の条文の解釈論に終始してるんだよ。
定義を最初に明確にしてから新しい文言を作り出す(改憲の為の学術的な提言)という発想がすっぽり抜けている。
メディアでは目立たないけど憲法学者の全員が極左ではなくて
どこの大学かはあえて言わないけど日本の上位10ぐらいに入るところの憲法専門で行政系も詳しい教授は赤嫌ってたな
憲法の拡大解釈について是非があるのは自然な感想だけど時代に応じた改定を許さない硬直的な欽定憲法ってあり方がダメなんだと思うよ
そもそも誰も9条を撤廃しようとしてないのでな?
> 9条1項は「侵略目的の戦争を放棄したもの」であると、多くの教科書はそう説明してきた。しかし、憲法学者の長谷部恭男さんは、その根拠はどこにあるのかと疑問を投げかける。
その根拠が芦田修正じゃねーか
憲法学って法学じゃなくて政治学(かなり左寄り)か神学に近いよな
ほとんど宗教だもん
独りよがりの論法でなに言ってるかさっぱりわからん
不戦条約の流れなら個別的自衛権も集団的自衛権も否定できないだろ
しかもあれ、どこまでが自衛だかは自国で決められると条約提唱者自ら宣言してんだぞ
自衛権の留保: アメリカのケロッグ国務長官や各国の解釈宣言において、「自衛権の行使は各主権国家に固有のものであり、不戦条約によって制限・毀損されるものではない」とされました。どのような自衛権が適法か(範囲や基準)についての明確な定義は条約上になく、各国の判断に委ねられました。
そもそも現行憲法自体が戦勝国に押し付けられたもので
国民の信任を得てないだろうにw
独立を回復したらいの一番に改正すると思ってたら
80年も使ってるってあっちの関係者苦笑いらしいぞ
国家の自然権としての自衛権までは放棄していない、という理由から個別的自衛権が認められるという解釈ですよね
だったら現実にそぐわないから改憲するしかないんだけどそれでよいのか?
珍妙なこと書いてんなと思ったらAERAかよ。
読んで損したw

