1:名無しさん




経営

創業当初は、服部一族による家業経営が行われてきた[7]。セイコー創業者は服部時計店を興した服部金太郎であり、時計製造の精工舎も起業した。長男の玄三が二代目社長で、懐中時計や腕時計を製造する別会社の第二精工舎を発足。二男の正次が三代目社長を務め、四代目社長に玄三の長男の謙太郎、五代目社長に二男の礼次郎が就いた。

六代目社長は吉村司郎であり、服部一族以外の人が社長に就いた。七代目は関本昌弘、八代目は井上仲七、九代目は村野晃一である。

2006年(平成18年)、電子部品会社・セイコーインスツルの会長兼社長代行を務めていた服部純市(謙太郎の長男)が取締役会の緊急動議で解任された。

2010年(平成22年)までに、労働組合の調査などで、名誉会長である礼次郎と取締役の鵜浦典子(2002年(平成14年)より和光取締役、2007年(平成19年)よりセイコー取締役)が和光本館周辺に新たに店を出す「和光スクエア構想」を単独で進めるために、多額の不動産を取得していたことが発覚する。これを背任として、労組は経営陣に対する株主代表訴訟の手続きに入った。経営側も実態を調査し、社外取締役・原田明夫(元検事総長)が「刑事事件、民事事件の事件になりかねない」と判断、2010年(平成22年)4月30日の取締役会で緊急動議を発動。その場で礼次郎、鵜浦を和光の役職から解任すると同時に、「両氏の専横を止められなかった」として村野晃一をセイコーホールディングス会長兼社長の役職から解任。後任に謙太郎の次男で礼次郎の養子である副社長の服部真二が昇格、村野の解任と自身の新社長就任を自ら発表した。これらについて産経新聞は、「オーナー一族による会社の私物化が、上場企業としての企業統治(ガバナンス)をマヒさせた」[8]と報じた。労働組合「セイコーグループユニオン」に対してパワーハラスメントや左遷人事の訴えがあり、組合長の中村昇造は「退職や鬱病になった被害者は報告されただけで50人を超える」としている[8]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97