放火される前の金閣寺
— きりゑだう (@kirie_folklore) April 11, 2025
三島由紀夫が『金閣寺』作中で描いた「古い黒ずんだ小っぽけな三階建」は、この建築物を指します pic.twitter.com/Q27RzFnAPm
金閣の再建に当たっては、赤松俊秀によれば、世間からの意見は必ずしも木造での忠実な再現を望むものではなく、「鉄筋コンクリートで作ればよい、形だけは元通りに作れば二度と焼けないだろう」というものも見られたという。しかし文化財保護委員会や専門審議会の後押しにより、忠実な形での再建が実現することとなった[70]。
再建は、その後勃発した朝鮮戦争に伴う物価騰貴のために難航したが[71]、慈海が謝罪を兼ねて托鉢の行脚を行うことでも、資金を集めている。托鉢は事件の際に、新聞で様々なことを書き立てられた慈海への、世間の反感を減ずることにもなったという[72][注 8]。その後、再建資金の一部がまとまった1952年(昭和27年)3月22日に起工式が催され、3ヶ年計画で工事が始められた[16][72]。設計は明治時代の図面に従って、3月28日に着手され、5月1日に完了した[74]。
1955年(昭和30年)10月10日、落慶供養が営まれた[17][71]。鹿苑寺住職や檀家総代の熱心さ、京都府教育長文化財保護課による指導援助が功を奏したとされ、かかった費用は合計で2,825万4,200円だった[71][注 9]。
再建された金閣は、焼失前と全くの同一ではなく、建築から500年以上の間に改造された部分を旧に復すため、以下の変更が行われた[71]。
第一層北側の東端二間の出入口を除去し、壁に改める[注 10]。 第一層北側の縁から第二層へ上がる階段は、明治時代のものであるため除去する。 第二層の東・北・西の三方にあった縦格子窓を、すべて板壁に改める。 第二層南側の雨戸4枚を、吹き寄せ舞良戸4枚・明障子2枚に改める。 第二層の東室・仏間の間を復旧、仏間の腰掛を除去、舞良戸を従来の高さに改める。
その後、1987年(昭和62年)には、金箔がそれまでの5倍の厚さに張り替えられた[76]。また2010年(平成22年)時点で、鹿苑寺のパンフレットには、金閣が焼失した事件について、全く記されていない[77]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%96%A3%E5%AF%BA%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
個人的に『金閣寺』で好きな描写です
— きりゑだう (@kirie_folklore) April 12, 2025
本年は三島由紀夫生誕100周年の節目に当たります pic.twitter.com/QV7N9aR4g6
— 中井かんいち (@ichikawakon) April 12, 2025
比較お写真📸 pic.twitter.com/60I3IgA1qO
— Sfera君orたまちゃん (@Sfera03269315) April 12, 2025
然し金閣寺は再建時は金箔綺麗に貼り直したんだから銀閣寺も創建時の総漆塗を復活させたら目玉なりそうなのになぁ。
— ファッツ (@CxobayC0OHxXzHn) April 12, 2025
あっちはまだ国宝だから下手に触れない
— りーさる (@lethal_wp) April 12, 2025
やっぱ銀閣寺の方が好き。建築もそうだが、それを囲む環境としての庭園がよりあはれな雰囲気があって。
— Hyujack (@hyujack320) April 12, 2025
昔のほうがいいなと思ってしまったけど、少数派かな?
— マカロン【プロ野球(特に阪神)と懐メロ(主に昭和から平成初期)好き】 (@makaron_8715) April 12, 2025
まだ国宝だった頃の金閣寺。
— ぴろ (@okisi2013) April 12, 2025
三島由紀夫、市川雷蔵。名前聞くだけで興奮します。
今の金閣寺は整いすぎていて、消失前の金閣寺の方が味わいがあります。
— FireDancer 六四天安門 (@FireDancer_) April 12, 2025
金じゃなかったんだ
— 【ノーコード× AI ×アニメで世界観ごと創る】タカラ (@takareinhard) April 12, 2025
焼失前は第三層に少し金箔が残っていただけだったのを、再建時に第二層まで金箔を施し往時の姿を再現しました。
— シャ (@e67870202) April 12, 2025
個人的に気になるのはこの右手に存在する渡り廊下。
元から有ったのか、何なのか? pic.twitter.com/31BRmny176
貴重な写真ですね
— しー (@oj0dMa2WKaXdUeD) April 12, 2025
今は池のほとりにあるが、建設当時は池の真ん中にあり、渡り廊下を通って水上を歩かなければいけなかったらしい。金ピカな見た目だけでなく行く行為も演出が。
渡り廊下の先の建物は、政務を行う目的で建てられたが、義満急死により実現しなかった。
と、昔読んだ記憶があります。
洛中洛外図屏風(上杉本)では、三層目は金箔貼り、二層目は白木で描かれていますね。 pic.twitter.com/vGDvFbQeow
— 三都 (@SainteChapelle_) April 12, 2025
実は私、何度も京都に行っているけど、金閣寺に行こうとすると毎回【修復中】なのだ…余程私に見られたくないらしい( ;´꒳`;)。
— にゃんこの下僕★ネ申 (@Nyankonogeboku) April 12, 2025
これはこれで趣があって良い
— 金剛ネリネ (@isolationsprite) April 12, 2025
この頃は、庭を見るためのただの楼ですよね。確か。
— ノロマなカメ (@ka_mevv) April 12, 2025
数十年前、初めて訪れた時、想像と違って池が藻で濁ってたのが残念だった青春時代…
— ぐり (@DonGuri1979) April 12, 2025
小学校の遠足でガイドさんが
— belushi@新歓よ永遠に! (@belushi1954) April 12, 2025
「足利義満は全部金箔貼りたかったけれど途中でお金がなくなって断言した。なので再建の時に全部貼りました」
と言ったのを覚えている。
当時は金箔がどんなに薄いか知らなかったので、納得した。
修学旅行で覚えてるのはこれと
お代わり自由ご飯食いすぎて吐いた西川くん