1:名無しさん




1951年(昭和26年)4月24日に起きた桜木町国電火災事故で、桜木町駅の運転士・車掌ともに、ドアコックの位置を知らなかったため、扉を外部から手で開けることもできず、大惨事となる一因を作ってしまった。

その後、一般の乗客が非常時にドアを開けられるようにした「非常用ドアコック」が広く導入される運びとなったが、ドアコックを導入したことによる弊害も大きかった。

1962年(昭和37年)5月3日に常磐線三河島駅構内で起きた三河島事故が、その大きな例である。最初に貨物列車と電車が衝突した後、多くの電車の乗客が先述の桜木町事故の教訓を生かして整備されたドアコックを使って列車外に避難した。その後、上野行きの電車が構内に進入し、線路上に降りていた乗客を巻き込んだ事により多くの死者を出した。この二つの事故は国鉄戦後五大事故として現在まで語り継がれている。

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