1:名無しさん




 当社は旧八王子と称し、往古より北浜村有滝の地の産土神として祀られていた社であった。その創祀等については不詳であるが、明治3年には改号して、村社八玉社と称するようになった。

 そして明治の神社合祀令により、明治42年6月24日、北浜村大字有滝字大里鎮座の無格社3社(秋葉大権現、牛頭天王、金比羅大権現を祀る社で本殿は一棟三扉の形をなし、それぞれ秋葉社、津島社、琴平社と称した。三神を祀る社であったため三社と号したという)、同字大浜鎮座の無格社厳島社(厳島神を祀る社で、旧辨天と称したが、明治三年厳島社と改号)、同宮ノ前鎮座の無格社山神社(大山祗神を祀る)の3神社を合祀した。

 しかし、神社合祀の波は当八玉社にも押しよせた。明治42年6月25日、北浜村大字有滝字社護神鎮座の無格社社宕神社(神名不詳一座)とともに、村社八玉社は、北浜村大字村松字東大淀の立会地に新設された村社北浜神社に、移転合祀された。一村一社の原則の下に、北浜村内の神社はすべて北浜神社に統合されたのである。  これにより八玉社は断絶することになったのだが、昭和6年1月、氏子の総意によって、旧宮地に社殿、境内設備等を調え、非公認ながらも産土神を奉斎し、八玉社を復活させた。このことからも、いかに信仰が篤かったかが窺い知れよう。やがて、昭和26年3月には神社本庁の承認を得て、正式に八玉神社を設立し、今日に至っている。

 この有滝の地は、伊勢湾に面した土地で、古くは神領伊蘓郷に属し、中世には武家領に帰し、後に幕府領となり正税313石の石高であったと言われている。山田奉行所が置かれていた地、建武中興の時代の結城宗廣郷の乗船地として知られている。

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