福島要一(ふくしま よういち)(1907~1989)
略歴:1907 年東京に生まれる。旧制第一高等学校を経て 1934 年東京帝国大学農学部農学科を卒業。1934 年より 39 年まで農林省農事試験場に勤務し、その後1939 年中国にわたり、1943 年まで北京大使館の農政班に勤める。その後帰国し農林省の農事試験場農業気象部に勤め、1947 年に農林省統計調査部作物報告課長となり、1949年辞任。同年日本学術会議会員となり 1985 年まで 36 年間活動した。
<福島文庫解説> 相原昭夫(全国農業教育研究会)
福島要一先生は、1949 年農林省を辞任後、生涯を在野で通した。その業績は、学者・研究者としてよりも啓蒙家としてのものが大きい。研究室を持たず、同僚も弟子もいないという学問環境の中にあって、啓蒙家としての福島先生の遺産は多くの著作と大量の資料である。
https://i.imgur.com/dutoNkM.jpg
http://yamazaki-i.org/DenshiKou/E_Kou_61.pdf
「日本学術会議 首相、『6人任命せず』は当然」 ─ 屋山太郎
1980年代の学術会議はまるで共産党の運動体だった。定員数は同じ210人。これを30委員会に振り分けるから一委員会7人ずつである。会員は学会に加わっている人の選挙。この中で常に選ばれる人物に福島要一という人物がいた。彼は第5部(原子力関連の委員会)に属していたが他の6人は福島の能弁に誰も反論できなかった。その様を見て桑原武夫氏(京都大フランス文学)がある雑誌に「3人で210人を支配する方法」という皮肉な随筆を書いた。桑原氏によるとこの委員会は最初7人全員が参加していたが、福島氏が一日中喋っているから嫌気がさして、次回は3人になる。結局福島氏に2人は説得されて部会一致の採決をしてしまう。学術会議は50年と67年には「戦争に関わる学問には協力しない」と宣言した。一連の運動は共産党の行動方針そのもので、改善策として人選のやり方を全く変えることにした。福島要一氏は農水省の出身で、共産党系学者に号令して毎回、当選してきた。この農業経済学者が日本の原発政策を主導したのである。加藤寛氏(慶大教授)の提案で投票は学会員たちだけにし、会員を選出する方法に改めた。
http://www.jfss.gr.jp/article/1334
※科学史・科学哲学の泰斗である村上陽一郎氏が書いた記事
※学術会議を牛耳っていた「ある政党」は日本共産党、「F氏」は福島要一と思われる学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか? ─ 村上陽一郎
日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる事態が続きました。
今、思えば、そうした状態を見ぬ振りで放置した研究者や会員に大きな責任があるのですが、見かねた政府が改革に乗り出し、それなりの手を打って来ました。1984年に会員選出は学会推薦とすることが決まり、2001年には総務省の特別機関の性格を明確にし、2005年には、内閣府の勢力拡大とともに、総理直轄、実際には内閣府管轄の特別機関という形で、日本学術会議は完全に国立機関の一つになりおおせました。
https://wirelesswire.jp/2020/10/77680/
※当時衆議院議員だった山中貞則の国会での発言
第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号 昭和30年7月29日
山中貞則:しかもその中には明瞭に届出の共産党員もおられます。私どもとしてはそう思っているわけです。たとえば国分一太郎、福島要一という人、こういう人は届出党員であります。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=102204280X01719550729&spkNum=237&single
※『全貌』という昔の反共系雑誌に載っていた福山要一に関する記事を抜粋したブログ
摘録 雑誌ゼンボウ昭和50年10月号
「学術会議の名物男 福島要一氏の華麗なる“変身術”」
https://ferreira.exblog.jp/30246113/
題目「思想対立が引き起こした福島原発事故」(相田英男)
…また東大農学部を卒業して農林省に勤めていた 福島要一(ふくしまよういち)という農学者がいた。福島は共産党系科学者達の強い推薦を受けて、第一回学術会議選挙に当選したものの、直後にレッド・パージにより農林省を解雇されてしまう。しかし解雇された井尻、福島は共に、無所属のままで学術会議員に立候補して、分厚い左翼系研究者の固定票を背景としてその後も当選を続けた。
福島は1986年までの36年もの間、無所属のまま学術会員の資格を失わず、様々な委員会を取り仕切り活躍したことから、後には「ミスター学術会議」とまで呼ばれることになる。井尻、福島に代表される「民科系」の左翼学者が、何度も議員に選ばれ続けることが、体制側から学術会議が警戒される大きな要因となっていた。
http://www.snsi.jp/tops/kouhouprint/1805
>>4
学術会議にとどまらずアカデミア全体のレッドパージが今こそ必要
>>4
(;`Д´) 5chで井尻正二と地団研の名前を見るとは思わなんだ。
まあ左翼の代表だからなあ。
伏魔殿やな
やっぱ共産党に支配されてたんだな
>>6
赤旗様が味方の背中から菅政権を攻撃しようとしたら
味方の壁が厚すぎて味方だけを倒して弾切れしたんだなw
>>6
パヨが大騒ぎするわけだよな
破壊しないとアカン
アカは補助金にたかるのが上手
どんどんボロが出てきますなあw
アカ狩りじゃあ
無茶苦茶じゃねえか・・・
どんどん暴露しろ
ほんと左翼ってどうしようもねえな
それぞれの学会の猿山合戦かと思ったら共産党の支配下にあったのね
>>16
まだ派閥争いや学閥争いの方が良かったよな
藪の中に蛇何匹いるんだよwww
元官僚かよ…
戦前・戦中の日本の政府内に共産主義者がどんだけ入り込んでたかわかるな
いや今もか?
まだ出てくるのかよ() もうビックリを通り過ぎて呆れてきた
ここまで明るみにでると流石に膿みは出し切ってもらいたいね
もう徹底的に赤狩りしないとダメだろ
政治的中立性を犯した!とかって言ってる人達は共産党の支配は受け入れるのか
もう解散以外の選択肢がなさそう
かつてはまさに完全に共産党に支配されてたんだろうな
そして今も共産党の影響力は大と
もう廃止するしかないね
共産党の資金源を断とう
税金で共産党養うなんて以ての外
今は任期六年で再選無しらしいけど昔は制限なかったのか
>>50
というかこいつ対策で選出方法変えたり制限付けたりするようになったんじゃね
最初に騒ぎ出したのが共産党とその機関紙の赤旗なんだよな
今思えばそういう事だったんだなと
どこまで膿が出るかなぁ
この世界では有名だったらしいな
メディアが守るから一般人には知られてなかった
公選制だとこういうことになるんだよな
だから中曽根内閣は推薦方式にすることにした
おそらく当時も共産党は必死に抵抗したんじゃないか?
そして推薦制は推薦制でまた問題ありと
税金で運営されてるけど必要なことなので続けさせてくださいという殊勝なスタンスならまだ支持もされることもあったとは思うけど
推薦通りに任命されなかった、政治介入ガー、学問の自由ガーではなあ
野党やパヨクやマスゴミが騒いだおかげでこの日本学術会議がどういう組織か白日のもとに晒されましたね
明言しないのがスガ流なのか
いやだからこそマスコミがうまく藪をつついてくれるのか
>>132
そもそも人事評価に関する情報は外部には流せない、個人情報保護法違反になるし
当人から名誉棄損で訴えられたら確実に負ける。だからガースーは絶対に話さない。
パヨクはそのことを知ったうえで説明しろと迫って、情報開示しないガースーに対する不信感をレッテル貼りしてる。
今でも酷いと思ってたけど昔はさらにもっと酷かったんかよ
学術会議
政権に参加しないのに、文教予算の配分に影響力があるんだもんな
そりゃ絶対に手放せないポストだわな
共産党が必死になるのも当か
共産党が政権取ったらこういう税金に巣食って既得権益作る連中が大量生産されるんだろうな
何だかもう無茶苦茶だな。